第9回 街づくりと道路づくり(2)

 前回の続き、「なぜ、現在のような都市計画道路網が、モータリゼーションなど想いもよらなかった時代に考えられたのか」について説明します。
 もちろん、道路の必要性として良く言われる、日照や通風、そして上下水道敷設のための空間としての機能は、前回で紹介したように、イギリスで都市計画制度が生れた初期の頃には、特に重視されたと思われます。しかし、都市計画道路網が、幹線道路・補助幹線道路・区画道路といった、幅員や構造が異なる道路を組み合わせてネットワーク化されていることを考えると、それだけでは説明が付きません。やはり、そこには交通というものが前提として考えられていたことは容易に想像できます。実際、街づくりの現場で、道路に反対する人も賛成する人も共に重視しているのは交通です。ただし、両者ともマイカーを念頭に議論されますが、前述のように都市計画道路の歴史から考えて、マイカー交通が想定外であったことは明らかです。
 では、どのような交通を対象にしていたのでしょうか?それは、消防車やパトカーといった緊急車両、商店や事業所や住宅に物を運ぶ配送車両、道路や下水道を管理する工事車両、そして人々を運ぶ路面電車や路線バス等々、要するに、都市が都市として機能するために必要な交通だったと思います。こうした交通は、モータリゼーション以前から存在したはずです。(古くは馬車や荷車、その後、都市計画制度が生れた初期の頃に自動車や電車が出現した)ただ、その交通量はわずかですから、交通量と道路幅員との関係だけで考えれば、多分、幅員6メートルの区画道路だけでさばけるはずです。それにもかかわらず、広幅員の幹線道路や補助幹線道路が計画されているのは、どうしてでしょうか。
 そこで、仮に、市街地全域に幅員6メートルの区画道路が100メートル間隔で格子状に整備されている都市があると考えてみてください。前述のような必要最小限の交通量をさばくだけなら、これで十分なはずです。しかし、交通を行う側から見ると、どの道を行けばいいのか、わかり難いですし、また、交差点でいちいち一旦停止しなければならず面倒です。特に、路面電車や路線バスは非常に効率が落ちます。
 このため、まず、路面電車や路線バスを通すための道路を特定し、これを拡幅整備します。今でいう幹線道路ですが、その間隔は、これらで囲まれた地区の一番遠く(つまり、地区の中心)からでも、500メートル(無理なく歩ける距離の上限)以内で、どの幹線道路にもたどり着けるようにするには、最大で1キロメートルとする必要があります。実際、京都市の場合、1918年の市区改正条例に基づいて、まず整備されたのが市電のための道路ですが、やはり、その間隔は、ほぼ1キロメートルとなっています。
 さて、こうした幹線道路の整備によって、路面電車や路線バスはもちろん、緊急車両や配送車両といった、その他の交通も、円滑に通行できるようになりますが、電車やバス以外の交通は、幹線道路から最終の目的地まで、まだまだ一旦停止を繰り返さねばなりません。そこで、幹線道路と幹線道路の間に、もう1本、一旦停止をしなくてもよい道路を拡幅整備して、さらに通行し易くすることが考えられます。これが、補助幹線道路です。やはり、京都市の場合、旧都市計画法に基づいて、昭和初期(1930年頃)に、こうした補助幹線道路が計画決定されています。
 つまり、広幅員の幹線道路や補助幹線道路は、もともと交通量に対応するためではなく(もちろんマイカー交通も想定外)、都市に必要な交通の流れを秩序づけて円滑にするためのものだったと思います。その根拠を、もう一つ紹介します。
 各自治体では、救急車が通報を受けてから現場に到着するまでの時間を短縮することに腐心しています。理想は3分以内ですが、それは、心肺停止になってから3分以内なら蘇生する確率が格段に上がるからです。10年以上も前のことですが、京都市では救急車の到着時間を4分にすることを当面の目標にすると聞いて、システム科学研究所の自主研究として4分以内に到着できる地域をシミュレーションしたことがあります。その結果、幹線道路や補助幹線道路が完備している旧市街地はOKでしたが、そうした道路の整備が遅れている市街地の周辺部では到達できない地域がかなりありました。それは、救急車といえども、6メートル道路を走る場合は、幹線道路や補助幹線道路の場合の半分以下の速度になってしまうからです。
 この事例からも明らかなように、決して、幹線道路や補助幹線道路は大量に発生するマイカー交通のために考え出されたものではありません。都市に不可欠な最小限の交通を円滑に流すために必要とされたのです。郊外に開発された、立派な住宅団地に行けば、そのことが一目瞭然に理解できます。どこでも広々とした幹線道路が整備されていますが、時たまバスや宅配車が通るだけでひっそりとしています。しかし、そこに立っていると、これが有ると無いとでは、暮らしの快適性と安心感に雲泥の差が付くことが容易に想像できるはずです。