第8回 街づくりと道路づくり(1)

 街づくりで最も紛糾するのは道路整備の問題ですが、これには、第2回と第3回で説明した利害対立だけでなく、道路そのものに対する根本的誤解がもとになっている場合が少なくありません。その誤解とは、道路はモータリゼーション(自動車が大衆に普及するという時代や風潮)のためにあるというものです。しかし、本当は、道路整備が街づくりの重要な課題となったのは、モータリゼーションが始まるよりずっと以前のことです。
 現在、行政の街づくりは『都市計画法』に基づいて行われますが、その起源は、1848年にイギリスで制定された『公衆衛生法』と1851年制定の『労働者住居法』にあるといわれます。当時、イギリスでは産業革命によって産業や人口が都市に集中したため、各都市では無秩序に造られた極めて衛生状態の悪い街があちこちに出現しました。このため、道路の幅員、建物の高さや構造、汚水の処理等を規制する『公衆衛生法』が制定され、さらに労働者のために公的住宅を供給する『労働者住居法』が制定されました。こうした状況はドイツでも同じで、消防等の観点から道路用地を確保するために建築を規制する『プロシア建築線法』や、積極的に道路用地を生み出すための土地区画整理手法を定めた『アディキス法』が制定されました。やがて1909年、イギリスで、都市そのものを法制度の対象とする『住宅・都市計画法』が誕生し、これ以降、都市計画という言葉が一般化したのです。
 一方、日本では、都市計画は当初より近代国家形成の手段として導入され、1888年に東京を近代的な街に造りかえるための『市区改正条例』が制定されました。道路や上下水道といったインフラ整備を主目的とした、この条例は、その後、1918年に、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸にも準用されましたが、翌1919年、インフラ整備だけでなく土地利用の制限も行う、旧の『都市計画法』が制定され、現在の都市計画制度の基礎となったのです。
 少し長くなりましたが、都市計画(つまり、街づくり)の最初の大きな課題が道路整備であったこと、また、それがモータリゼーションの始まり(アメリカでは1920年代、ヨーロッパでは1930年代)より、ずっと以前であったことをご理解いただけたでしょうか。
 実際、京都市では、幹線道路網の骨格が市区改正条例によって決定されていますが、道路間隔はおよそ1キロメートルになっています。これは、現在の都市計画道路の整備目標(昭和58年の都市計画中央審議会の中間報告)と全く同じです。さらに、同目標では各幹線道路の間に補助幹線道路を配置することとなっていますが、京都市では、そうした補助幹線道路の多くも、旧都市計画法に基づいて、昭和初期(1930年頃)に決定されています。つまり、京都市の都市計画道路網の骨格は、モータリゼーション以前に計画されているのです。
 では、今日のようなモータリゼーションなど想いもよらなかった時代に、なぜ、そんな道路網が必要とされたのでしょうか?これについては、次回に説明します。