第3回 住民主体で利害対立を乗り越える

 前回の最後に述べた、街づくりは住民の利害対立が起り易いからこそ住民主体の進め方が適しているという話の続きです。
 街づくりは都市施設の整備が目的ですから、必ず、住民の利害対立を内包しています。道路や公園などの用地にかかる人とかからない人という単純な利害だけでなく、これまでの経験では、かかる人でも、ちょうど転居を考えていた人と家を建て替えたばかりの人、十分に補償されればどこへでも行くという人と高齢のため引越しは困るという人、また、公園に面して明るくなるので歓迎する人と子どもがうるさいので嫌がる人など、いろいろな利害があります。とても、まとまりそうにないと考えるのも当然ですが、それでも、これまで無数の道路整備や公園整備などが完了しているということは、そうした利害対立を乗り越えてきたということになります。では、どうやって乗り越えたのでしょうか。
 一言でいえば、行政の粘り強い説得と住民の理解のたまものと言えるでしょう。何か、キレイごとのようですが、実際に、強制収用のケースはほとんどありませんので、一定の合意があったとみなすしかありません。
 それなら、今までのやり方で良いではないかということですが、良くはないのです。理由は2つあります。一つは、住民の理解が本当の理解でないこと、もう一つは、時間がかかることです。
 まず、住民が本当に理解しているわけではないという話ですが、住民の意見を聞いていると、全てが行政と住民との対立、それを前提とした交渉や取引と捉える傾向が強く感じられます。住民は、道路計画にしろ、公園計画にしろ、自分たちがやりたいと言ったわけではなく行政がやりたがっていると考えるようです。本当は、行政だけがやりたがっている計画などあるはずも無く、社会が必要とされるから行政が計画するのですが、そこのところの信用がまるで有りません。
 もっとも、今回の原発事故でわかったように、行政は信用できないということも頷けます。それなら余計に、住民主体で、計画を一から考えてもらったら良いのです。街づくりの内容など、原発問題ほど難しい物ではありません。全てと言ってよいほど、地域や市民にとって必要な計画ばかりです。従って、住民が主体となって冷静に考えれば、行政に対する誤解はすぐに解けますし、住民も積極的に取り組めるはずです。
 ただ、その計画によって迷惑を被る人が出てくることは確かです。これまでの行政対住民の図式では、ここのところが一番問題となります。つまり、住民は、行政のために迷惑を被ると考えるので、最後は、渋々協力する、あるいは根負けするという理解にしかなりません。これは、本当の理解とはいえません。また、住民が渋々協力する、根負けするには、当然、それだけ多くの時間を必要とします。
 ところが、街づくりを住民主体で進めると、住民は、地域のため、あるいは市民のための計画であることが理解でき、その結果、地域や市民のために協力すると捉えることができます。迷惑を被ることに変わりありませんが、気持ちが違います。そして、何よりも、そうしたことを地域の他の人たちが認識するようになります。実際、地域の人が、用地にかかる人の説得にあたられ、また、行政に対しては住民側に立って相談にのっておられるのを間近に見たことがあります。
 こうして、住民の理解が進んで行政との認識のズレが早く解消されると、時間は大幅に短縮されるはずです。私が関わった中で、最初から全住民が参加した事例では、地元に呼び掛けてから1年ちょっとで都市計画の手続きに着手できましたし、また、第一段階は住民代表、第二段階で全住民が参加した事例では、約2年で同じ段階に到達しました。事業によって事情が異なるので、どんな事例にも当てはまるわけではありませんが、驚くほどのスピードで進むことは確かです。
 街づくりにスピードは大切です。時間がかかれば、それだけ社会が便益を受けることが遅れます。道路拡幅事業が遅れ、いつまでも歩道の無い状態が続くことは歩行者の安全にとって大きなマイナスです。住民主体の進め方の最大のメリットは、このように、事業に要する時間が大幅に短縮できることだと思います。