第11回 街並みづくりは時間を掛けて

 前回、街づくりは都市施設だけでなく宅地部分の再開発も重要であると言いましたが、実は、これを住民主体で進めるのは、都市施設の場合より遥かに難しい一面があります。今回は、これについて説明しますが、その前に、こうした事業を「何づくり」と言えばよいのか、大いに悩みました。「住宅づくり」では店舗が含まれませんし、「建物づくり」では一つ一つの建物が対象になってしまいます。結局、街づくりの仕上げとして、「どんな建物を、どう並べるか」が課題になると考え「街並みづくり」としました。
 さて、第2回で、都市施設を対象とする街づくりでは、制約条件を一つ一つ理解していけば専門家でも住民でも同じような結論に至ると説明しました。しかし、街並みづくりは少し勝手が違います。それは、街並みづくりには制約条件が無いからです。街並みづくりの制約条件といえば、直接的には用途地域や建ぺい率、容積率や高さ制限など各種の建築規制が考えられますが、街並みを住居系とするのか商業系とするのか、住居は戸建なのか集合なのか、商業なら商店なのか商業ビルなのか、集合住宅や商業ビルの高さは低層か高層か、それによっては規制を変えなければなりません。つまり、建築規制に基づいて街並みを考えるのではなく、どんな街並みにするかによって建築規制を変えるのですから、結局、街並みづくりに制約条件はないと言えます。
 例えば、ひなびた田舎駅の前に高層ビル街をつくるという提案でも、それを端からダメだという法令や基準はありません。それが社会にとって必要であれば、しかるべき手続きを経て実現させることができます。つまり、何でも自由に考えられるのです。それなら、住民主体は収拾がつかなくなるだろうと思われるかも知れませんが、そんな心配は無用です。「こんな田舎に高層ビル街は有り得ない!」という常識が働いて、そんな突飛な提案は一笑に付されてしまいます。
 私が、住民主体の街並みづくりで厄介だと思うのは、むしろ、そうした常識の方です。先ほどの例ですと、高層ビル街というのは常識外れですが、駅前にショッピングセンターという案ならどうでしょう。これなら、現在の日本では十分に常識の範囲内です。ところが、ショッピングセンターが成り立つには一定規模の商圏が必要ですが、その駅前で成り立つかどうかは、住民はもちろん行政や街づくりの専門家でも分かりません。それは商業の専門家に聞かねばなりません。
 同様に、新しい街 = 近代的街並み = ビル街あるいは金属とガラスの建物や今風デザインの建物、という常識があり、新しい街並みは見事にそのようになります。ところが、一方で、人々はヨーロッパや日本の古い街並みに憧れ、ツアーで訪れては「きれいね」、「落ち着くね」、果ては「こんなところに住みたいね」と言います。つまり、「日本の街はこんなもの。美しい街並みは別世界の話」という思い込みがあるのです。
 こうした思い込みに基づくプランを後で専門家が見て、「こんなところにショッピングセンターは無理だよ」とか、「なぜ、こんなのどかなところに金属とガラスの建物をもってくるのかなあ」とか、「今風デザインはすぐに陳腐化するのに」と言うのをよく聞きます。一方、しかるべき専門家が関与すれば、千葉市の幕張ベイタウンのようにヨーロッパのような落ち着いた街並みをつくることも可能ですし、また、最近では、民間の戸建団地でも、他団地と差別化するため美しい街並みづくりが重要になっていますが、そうしたことは、あまり知られていません。
 従って、住民主体の街並みづくりでは、住民自身の常識に頼らず、積極的に専門家の助けを仰ぐことが重要となります。しかも、相当頑固な思い込みを解きほぐさねばなりませんから、専門家を先生に一から学習する時間が必要です。
 これまで、住民主体の街づくりは時間が掛らないと説明してきましたが、街並みづくりだけは例外です。むしろ、時間を掛けることが重要となります。